「自分さえ良ければいい」を捨てるとき

京子です。

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「自分さえ良ければいいのか?」

最近、こんな疑問が何度も湧いてきます。

今、世の中がコロナの騒ぎで変化していくものがたくさんあります。

コロナに対して、また世の中に出回っている情報に対して

あなたは、どう反応していますか?

またこの影響力がきっかけで、あぶり出されてきた変化せざる得ないものがたくさんあると思いますが・・・

それに対しては、あなたはどう働きかけ、何を選択しますか?

日々問われているように思います。

大袈裟なことではなく、些細なことですが、

今日はこの人に会うべきか?

仕事に行くべきか?

子供と公園行くのか?

買い物で食材や生活用品、何をどれくらい買うのか?

そんな小さな選択ですら、見直しています。

今まで私たちは、「今日、人に会うべきか?」なんて考える余地もなくやっていましたよね。

買い物だって、自分の財布の事情や家計のペースに沿ってやっていました。

でも今は、動くことによるリスクや、何かを選んだ先に、得たい気持ちはなんだろう?と考えずにいられません。

そのリスクは、自分がどうのこうのより、家族や周囲に及ぶものがほとんどです。得たい気持ちも、自分だけの安心感や満たすことだけでないですよね。

一体、あなたの動きは、周りにどんな影響を与えるのでしょうか?

私は日頃、ハラの声が大きく聞こえるトレーニングをしてきました。

「やること・やらないこと」がキャッチできるようになったとはいえ、実際、選ぶには、一番に家族の顔が浮かびます。

家族は喜ぶのか?みんなのためになるだろうか?

表面ではみんなのためと言いながら、そこに「自分さえ良ければいい」という思いがあれば、その動きは、ぶつかりの波紋を生んでいきます。

ぶつかった時は、修正したり、話し合えばいいのですが、最近はこの話し合いがいつもに増して多くなっています。

その度に、何が正しいかというより、どれだけ相手を思いやれるのか?がいつも問われているように思います。

そこで考えさせられるのが

「自分さえ良ければいい」を「自分軸」と勘違いしていないか?

です。

その判断は、価値観や人生の目的や優先順位によって違うだろうし

何を基準にするのかは難しいかもしれないけれど、

お互いの一つ一つの思いや行動の先に

「大切な人の笑顔がイメージできるか」が大事だなと改めて思います。

こんなときだからこそ、大切な人の笑顔はどれくらい先まで見えるのか?

ゆっくり感じてみる時間を持ってみてはいかがだろうか?

どれくらい先というのは、この人の笑顔の先に、つながっていく笑顔のことです。

そうすると、変化の中で、これからも共にいたいもの、そうでないものと言うのが少しずつ見えてきたりします。

自然に断捨離が働いていきます。

今、変化変容するとき。

もし変化できないなら、

邪魔をする「何か」に向き合っていくことが大事だと思います。

その「何か」はコロナだ!なんて言わないでくださいね。

いつだって自分が変われない原因は自分の内側にあります。

私は、ここ最近「自分さえ良ければいいのか?」と自他に対して湧いてくる問いに、

「自分軸」にくっついていた我や、おごりを捨てるきっかけになり、また自分の存在価値がどこにあるのか?を見直すきっかけなりました。

見直した後は、一つ一つの行いを丁寧に、笑顔の連鎖を起こす「行動」に変えていきます。

あなたは、この変化にどう働きかけていきますか?

隣の大切な人の笑顔を守っていく覚悟、ありますか?

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